2008年01月11日

『マイ箸』を使う理由

myhashi.jpg私が『マイ箸』を持つようになったきっかけは、地球を愛する会@月形の活動です。

地球温暖化防止の勉強をするうちに、日本の割り箸の原料が中国の森を皆伐(全ての木を切り倒す)することによって生産されている事実を知りました。もともと水資源の少ない中国で、皆伐によって砂漠化していくメカニズムに納得したことと、経済的に優位な日本がお金にものを言わせて他国の資源を買いあさっていることへの反発が直接的な動機です。

それまで「割り箸は日本の間伐材の有効利用」という話しを鵜呑みにしていた私は、自分の使っている(買っている)割り箸がどこで作られているのか、気にも留めていませんでした。普通のスーパーで、50膳100円で売っているような割り箸が日本の間伐材でできているわけがないのに。
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夫も『マイ箸』を使っています。「なぜ使うのか?」という話しになりました。
「俺は、ゴミを出したくないから。自分が使っただけでゴミになってしまうようなものを使うより、自分が『マイ箸』持ち歩くことでゴミを出さないなら、その方が良いと思って。」

なるほど! 私にとって説得力のある言葉でした。でも周りの人からは
「割り箸の中には日本の間伐材を使っているものもある。経済を回すという意味で、そういう割り箸は使った方が良いんじゃないか?」

夫曰く
「経済を回すというのであれば、間伐材は別の有用な資材として活用されればいいんじゃないか。すぐにゴミになるような割り箸をあえて作らなくても、使わなくても。」

これにも納得。大量生産・大量消費に慣らされ、経済を廻すと言われればその方が優位性があると考えてしまいがちだった社会への明解な反論に正直驚きました。間伐材といえども何年もかけて育った木、一瞬でゴミにしてしまうのは申し訳ないと、私も思います。
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今、私が『マイ箸』を使う理由は・・・

私にとって『マイ箸』が、ものの見方を変えるお守りのようなものだからかもしれません。

マイ箸を使うようになってから、
世の中を『もったいない』の視点から見ることができるようになった。
『愛着』という言葉の意味を理解できるようになった。
『必要なもの』を見極められるようになった。
自分の使うものは自分で用意する → 人に頼らなくなった(かな?)。



小さなことでも一歩踏み出してみれば、世界が変わっていくことを実感する今日この頃です。
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2008年01月03日

正月三が日 と 抱負

新年明けましておめでとうございます。
既に3日、あっという間に過ぎていきますね。記録として私の三が日を紹介します。
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【1月1日・雪のち晴】 樺戸神社(町内)へ初詣

kisya.jpg jinnjya4.jpg jinnjya3.jpg
例年、夜明け直前に初詣をし、初日の出を拝んでいた我が家。今年は普通に起きて挨拶をし、おせちを食べてから初詣に出かけた。
いつもは誰にも会わない静寂の初詣だったが、今年は賑わいがあった。普通の時間ならお参りに来る人がこんなにいるのか! それに夜明け直前の寒さもなく、おせちやお酒で身体も温まっているので、感じが違う。

凛とした空気は味わえなかったけれど、ほのぼのとした暖かさを感じた今年の初詣。自分自身ではめていた「たが」を外すことに抵抗があったが、そのことで見えてくることもあると感じた。要は気持ちの持ち方。外してしまったと罪悪感を持つより、外したのだという自覚とそれ結果を素直に受けとめることが大事だと思った。

午後、夫は初セリ(1月3日)向けにラナンキュラスの花切りと選花。私は子供達と双六、ジェンガ、人生ゲーム。そして明日の準備。
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【1月2日・曇ときどき晴】 空港へ見送り&初出荷

airpoart.jpgこれまた例年のごとく、子供達(中2と小5)が関東の実家に遊びに行くために千歳空港まで送る。千歳周辺はピーカンに晴れわたり、樽前山や恵庭岳がとってもキレイだった。帰りに札幌の市場に花を持ち込んで、初出荷完了。
これから数日間は夫婦水入らず。

夫婦二人だけになると、時間も行動も自由になる。あたかも一人暮らしのような感覚。すると規律正しい生活から外れてくる。これは私のずぼらな性格による。そこで私の今年の抱負の一つ『律する』。
今までは「成果(結果)に気をとられていた=社会人(仕事人)として自分を律してきた」が、一歩進めて(生物である)人としての基本に返り、自らを律する一年にしたい。
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【1月3日・曇】 初仕事

夫は朝から初セリの見学と挨拶回り。私は初仕事。といっても書類作成等。
いよいよスタート。

私の今年の抱負、もう一つは『発する』。様々な媒体を使って、紹介や報告だけでなく「自分の考え」を積極的に発していきたい。
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どうぞ皆さん、今年もよろしくお願いいたします。
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2007年12月19日

『過労とストレス』(2)選択とは捨てること

そして今回。

ことの始めは10月末のママさんバレーの試合。今年はあまり練習ができなかったにもかかわらず、つい試合に出てしまった。無我夢中でボールを追うのは楽しい。心のままに声を出せるのはスッキリする。そんなわけで1日フルに動いて帰宅。が・・・右腕が上がらない。段々、益々上がらない・・・脱臼かなあ? で次の日医者に行くと「右肩腱板損傷」。筋力のバランスが悪くなっていて負荷がかかりすぎた結果。
しばらく三角巾で固定。幸いにも肘から先は使えるし、左腕は何でもないのでそれなりのことはできた。でも、やっぱり家族の助けなくしては・・・、ごめんなさい。ありがとう。


そのケガが癒えて、やっと普通の生活に戻った今月9日。
やはりママさんバレーの試合が終わって帰宅後ちょっと夕寝してたら、掌が痒い!! アレッと思っているうちにプチプチがモコモコになって全身に広がっていく・・・そう「じんま疹」だった。当たりそうな食べ物も思い当たらないし、何だろう????
そう思う間も出ては広がり、出ては広がり、頭の中から瞼まで。

次の日皮膚科に行くと「重度のじんま疹」。過労とストレスが原因とのこと。確かに、ここしばらくは色々やっているうちに真夜中過ぎになり、極端に睡眠時間が少なかった。仕事を増やしとことも寝不足に拍車をかける原因になっていることはいうまでもない。その上ケガから回復したてでかばっていたし、充分な練習もしてなかった。そして今回の試合は白熱してすっごく疲れた。

またもやってしまった!! 結局、薬で抑えられたけれど、1ヶ月以上も飲まなければならないし、過労とストレスの原因も絶たねば再発するし・・・。
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「過労とストレス」この言葉、何回聞いたことだろう。
自分の中ではいつも「まだまだやれる」と思っていた。同じ轍は踏まないよう、失敗の原因は取り除くようにしているし、前よりはプレッシャーも減ったし、欲も少なくなっていると思う。でも『過労とストレス』はついてくる。

ここで再度自分の生活を見直さないと、飲み込まれてしまう。

自分が本当に大事にしたいものは何なのか。
自分がやらねばならないことは何?
自分にしかできないことって?
自分の居場所をどこに求めるのか?

おぼろげながらも答えが出せたら、また前に進める。

私を支えてくれるたくさんの人に対しても、見守り手助けしてくれる家族のためにも、勇気ある選択をしないとね。
心理学者が言っていた「選択とは捨てること」と。
posted by ゆみこ at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『過労とストレス』(1)忠告されてたのに・・・

この4月にもう一つ仕事を増やして、今ままで以上に多方面で活動することになった。それまでもそうだったけれど、それにも増して近しい友人から
「体だけは気をつけな。」
「何でも一生懸命なのはいいけれど、程々っていうのも大事だよ。」
「歳を重ねてるんだからムリはできないよ。」
と、会うたびに声をかけられ、自分では解ってるつもりだった。
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昔々、会社員時代もそう。

仕事に夢中で、いつの間にか低体温症になっていた。会社ではごく普通に仕事ができるのに、家に帰るやいなや体温が35℃台にまで落ち、何にもできなくなる。布団に入って2時間くらい、ガタガタと震え冷たい身体が温まってやっと動き出す。その頃はもう夜もとっぷり暮れてた。夫には迷惑をかけたなあ。
その時医者に言われたのは「過労とストレス」。自分なりに分析すれば、背伸びしすぎたから。研究所での実績を上げたくて必死だった。おもしろい仕事だったけれど、それ以上にプレッシャーも強くて、その上若い私は上昇欲のかたまりだった。同期に負けたくないし、上司に認められたい、そんな毎日だった。
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それからそれから色々あった。椎間板症、卵巣肥大、そしてマイコプラズマ肺炎。

いつも「何かおかしい」と思いつつ、身体が動くから大丈夫、普通の生活ができるから大丈夫、今は忙しいし、ちょっと頑張れば、気にしなければ・・・。で、やっぱりおかしいと思って医者に行く頃には立派な名前の付いた病気になってた。
そういえば周りで友達が「普通じゃないよ。」「大丈夫?」「つらそうだ。」と声をかけてくれていたのに。

気持ちと身体のギャップ!
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2007年09月30日

「農家の友」連載完了

noukanotomo.jpg

この1年間(と言っても3人で順番に書いていたので、私は4回分です)、月刊誌「農家の友」の「カントリーライフにご招待」というコーナーの連載が完了しました。この雑誌は北海道農業改良普及協会が道内農家向けに発行しているもので、ほとんどが郵送で配布されるので一般の書店にはありません。

思い起こせば去年の暮れ、お話しをいただいたときは驚きました。
私の文章が雑誌に載るなんて!

私は国語が苦手でしたし、卒論も研究報告書もデータには自身があっても、その表現に苦労したものです。ただ常に「伝えたいこと」は頭にあったので、がむしゃらに書きつづっていました。
そんな私が書くことの楽しさを感じるようになったのは、「手紙」と「ブログ」と「意見チラシ」を通してです。(意見チラシとは、数名でグループを結成し、問題となる出来事について様々な角度から検証・データ収集・議論を通して方向性を導き出し、それらをまとめてチラシを作り、新聞折り込み等で町内に配布する。今までに「未来通信」「ふきのとうだより」「地球を愛する会@月形・広報誌」などの発行に関わってきました。)
自分が意見(考え)を発表する(伝える)ことで様々な人から反応があり、もう一度検討し、問題や自分自身ををより深く理解することができたのです。それに、私自身を知ってもらうのにも多いに役立ち、多方面に友達が増えました。書くことからこんなにも関係が広がるとは以前には想像もできなかったことです。

さて、この「農家の友」ではどうでしょう。これからが楽しみです。
ちなみに私の文章が掲載されているのは、
2007年2月号(地域と仲間・・・月形ポパイズとNPOふきのとう)
   5月号(花作り・・・多くの人の手で育てられる花)
   8月号(自然の恩恵を受けている人間のメッセージ・・・地球を愛する会)
   11月号(家族・・・山登りの楽しさ)・・・10月末に発行予定

興味を持たれた方、読んでいただけたら幸いです。
posted by ゆみこ at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月30日

町議会議員になりました

久しぶりに日記を書きます。皆さんお元気ですか?

実は私、先の統一地方選挙で月形町議会議員に当選しました。正確には5月1日から4年間の任期で町議会議員を務めます。
alt
写真の1枚目は選挙活動の様子です。
私は新規就農者で地縁も血縁もなかったので、自分の「まちづくりに対する想い」を町民の皆さんに聴いてもらうことが最も大事だと考えました。そこで普段使っている軽トラックの荷台に看板と演台を作りつけ、5日間の選挙運動期間中で158回の街頭演説を行いました。
演説は2パターンあって、最初の3日間は私のプロフィールを中心に「私のまちづくり活動の経緯」、あとの2日間は「私のまちづくりプラン(四つ葉のクローバーをシンボルマークにして)」です。

この演説の甲斐あってか、はたまた夫と二人軽トラックでの選挙運動が良かったのか、当選することができました。もちろん陰になり日向になり応援してくださった後援会の方々や、様々な関係で繋がっている人達のお陰があったのは言うまでもありません。
皆さんどうもありがとうございました。

altそして2枚目の写真が当選証書のカバー(本体はA4の学校でもらう賞状のようなもの)です。今回町議になったのは10人ですが、私は月形町始まって以来の女性議員と言うことです。

これから色々な期待を背負って議員活動を進めるわけですが、今の私に迷いはありません。今までの「まちづくり活動」の延長線上に今回の選挙があり、その選挙でも自分の想いややり方を素直に誠意を持って伝えることで当選できたので、今のまま、真摯に前に進めばいいと思うからです。精一杯頑張りますね。

それから皆さん、町議になったとは言え私自身は何ら変わりません。どうか今まで通りよろしくお願いいたします。

余談ですが、選挙運動中、小中学生が盛んに手を振ったり、演説を聴きに来たりしてくれました。今までの選挙ではほとんど見たことのない光景です。それは私が女性(お母さん)だからで、子供たちにとってはより身近な存在なのだと思います。
この子供たちの「まちづくりへの目覚め」を大事にし、この子供たちにも届くような議員活動をしていきたいと思います。

私の政治活動に興味のある方はこちらのHPをご覧下さい。
http://www.yumiko3.net/index.html
posted by ゆみこ at 00:47| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月24日

スローライフとは

 私は今まで「スローライフ」を、言葉のイメージから「のんびり」「ゆっくり」「ゆとり」と思いこんでいた。
 でも何か違う、ちょっと違う、何なんだろうこの違和感は?


 子供の頃田舎の農家で育った私は、都会に憧れ、テレビのトレンディードラマに憧れ、サラリーマンに憧れた。早く家を出て自分で稼ぎ、欲しいものを好きなだけ買いたい、豪華な食事がしてみたいと思った。
 大学に進んで念願の一人暮らし。都会には住んだけどお金はなかった。その後サラリーマンになって、より都会に住み、自分で自由になるお金もいっぱいできた。でも使う時間もないし、使うアイデアがなかった。

 その頃「大草原の小さな家」の本に出会った。子供の頃にテレビドラマ版を見ていなかった私には新鮮な出会いだった。そこには
・家族で助け合い、生きる糧を得ていく姿。
・必要な物を手作りし、大切に使い回して使い尽くす姿。
・夢に向かって努力し、挫折し、そしてまた立ち上がる、諦めない姿。
どれにも共感できた。私はこんな生活がしたかったんだと気付かせてくれた、人生のモデルになった、とっても良い出会いだった。

 私の中でいつしか「大草原の小さな家=スローライフ=のんびり、ゆっくり、ゆとり」という構図ができあがっていた。

 農家をするようになって、家族で助け合い、必要な物を手作りし大事にし、諦めない生活をしているのに、のんびりも、ゆっくりも、ゆとりもないような気がして、なんだか分からないけれど焦っていた。


 で、最近わかった!!
 私の目指す「大草原の小さな家」には「のんびり」も「ゆっくり」も「ゆとり」もなくて当たり前。だって何でも手作りすれば時間も手間もかかる。料理だって全て手作りなら、朝から晩まで一日中料理していなくちゃ間に合わない。何事も諦めないなら努力は欠かせない。そう、時間はいくらあっても足りないのよ! 大草原の小さな家の主人公達は忙しかったんだ!

 今、私は自分の好きなように時間を使い、やりたいことをし、前向きに突き進んでいる。時間もないし身体の余裕はないかもしれない。でも正しくこれが私の「スローライフ」。
 今の私に絶対的な時間はない。でも、心の中(精神)には余裕があるし、何より私の中では時間がゆっくり過ぎていく。一日は24時間なのに、色々なことがたくさんできる。もしかしたら私の感じている時間と、周りの人が過ごしている時間とは流れ方が違うのかもしれない。

 押しつけられた価値観に従う必要はない。自分に素直に、自分の満足を得ることが本当のスローライフなのだと思う。だから「ゆっくり」でも「のんびり」でも「ゆとり」でもないけど、満足感のある人生をこれからも私は生きていく。
posted by ゆみこ at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月16日

献血の検査成績

先日の献血の時の、検査成績が届きました。

生化学検査(体調を表す色々な数値)はいつも通り、いたって健康!(ヤッター!!)

血球計数検査(血液の成分を表す数値。400mlと成分献血した場合のみ実施される)は、は、は、、、、あれ?
赤血球の数はいつも通りだけれど、他の数値は下がっている!
つまり血が薄い!(ショック!)

今回は血漿成分献血だったからできたけれど、
全血だったら200mlでも基準値以下でできなかった。
今までこんな事無かったような気がする(1回くらいはあったかな?)

まあ、こんな時は「鉄分」を多く採って、血を濃くしよう!
まずは、食事と一緒に飲む緑茶や紅茶を抑えるか。
それとも鉄分のいっぱい入った赤身の肉や貝を食べるかなあ。
でもきっと一番大切なのは、健康的な生活、だよね。
(最近、寝不足だし、食事もいい加減だったなあ。反省!)
posted by ゆみこ at 00:59| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月31日

新しい年に向かって

大人になって、時間が連続していることに気付いた。
昨日も今日も、そして明日も
ずっと連続していて
何も変わらず、ただやって来る。

大晦日も元日も、何ら変わらない連続した時間の一部だけれど
そこに意味を持たせているのは私たち「自身」。

気の持ちようで、時間の使い方で
そこに「区切り」ができる。
区切りこそ精神性。区切りこそ文化。

だからこそ、この一年の区切りを大事にしたい。
区切ることの大切さを子供達にも伝えたい。

あすからの新しい日は、新しい年は
今日よりも、今年よりも、より高みにいけますように。

だから今の自分をしっかり見つめ、
自分に正直に生きていこう。
自分を偽らず、自分に偽らず、
正直に、素直に。
posted by ゆみこ at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月28日

初心

 先日、新規就農1年目のお宅の、破れたビニールハウスを補修するお手伝いに行ってきました。約2時間の作業で、補修手順や紐の結び方など私たちが知っている(考えつく)方法を実践を通して伝えることができてよかったです。ビニールが破れたことはマイナスだったけれど、こういう事がなければ物事を伝える機会もなかったわけで、このことを通してお互いの結びつきもできたので結果プラスな出来事でした。《ピンチはチャンス》ですね。
 
 そんな中、私は自分達の研修1年目(13年前)を思い出していました。
 
 何日もしんしんと降る雪に越冬ハウスの上には70センチ以上の雪が降り積もり、かといって何をしたらいいかも分からず、ただ「雪が降ってるなあ」と家の中からのほほ〜んと外を見ていると、「大丈夫か?」「除雪したほうがいいぞ!」と、近くを通りがかった先輩農家の方々がやってきては声をかけてくれました。
 夫はアルバイト中で帰宅は夜。とっぷりと日が暮れた後、1歳の娘をご近所に預けて夜中まで2人で除雪。娘を受け取りに行ったのはもう12時近かったような気がします。

 1年目は本当に何にも分からず、何をやっても時間ばかりかかって成果はちょっと。どんなに頑張っても「こんな花売れるんだろうか?」という物しか作れませんでした。それが13年経った今では、農業者としての実力は数段向上し作業効率もアップ、自分の時間を作れるほどに余裕も出てきました。ご近所や友達の輪も広がり、何か起きてもすぐに対処できて、ほとんど何の不自由もなく楽に楽しく毎日が送れています。
 
ああ、でもこれでいいのか?
私は何のために農業を始めたんだろう?

私は一生仕事がしたくて農業を始めました。
私は誰かの役に立っているという実感が欲しくて農業を始めました。
私は子育てと仕事を両立したくて農業を始めました。
私は何かを作り、育てたくて農業を始めました。
私は親の背中を見て農業を始めました。

決して楽をするために農業を始めたわけじゃなく、決してお金儲けのために農業を始めたわけじゃなく、決して・・・。

自分はどこにいきたいんだろう?
1年目のように目標に向かって必死に努力しているだろうか?
余裕のできた時間を無駄にしていないだろうか?
posted by ゆみこ at 01:48| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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