2009年04月05日

42歳、ステキなプレゼントをもらう

bacchi.gifこんなプレゼントをもらうとは思わなかったぴかぴか(新しい)

マカロンに続いてでてきたのは → 直径2cm弱のこれ。何に見えます?

私は「手作りのマスコット」としか分からなくて、これが何をモデルに作られたモノか、想像もつかなかったんです。

そしたら夫が「議員バッチか?!」
私「あっ!!」
なるほど、なるほど・・・。

私の持っている本物の町村議員バッチは、紺色のビロード地の中央に金属製の菊花(14弁)、その中央に金字で「議」の浮き彫り。

こんなマジマジ見ることの無かったバッチ。娘曰く、
「どんなデザインにしようかと悩んでて思いついたんだ。誰もいないときにこっそり観察して作ったんだよ。花びらの数も数えて作ろうと思ったんだけど、細かすぎて出来なかった。真ん中も『議』でも良かったけど、お母さんのものだから『裕』にしたさ。
色? 同じ紺色でも良いとは思ったけど、お母さん『緑』が好きだからね。」

いろいろ工夫してくれたのね。どうもありがとう。
細かすぎて本物のように出来なかったと言うけれど、これだって相当細かい。チクチク、一針一針・・・すごい! 感動!! びっくり!!!

去年もそうだったけれど、今年もとっても驚かされました。だって、「町議会議員」という私の仕事を理解し、応援してくれているんだっていうことが分かったから。
母親が議員だということで恥ずかしい思いをしたり、イヤだなあと思ったこともあっただろうに、それでも「お母さんが頑張っている、大事にしている仕事」と思っててくれたことが嬉しかった。

本当にちっちゃくて、他の人にとってはきっと「つまらない」モノだけど、私にとっては何よりのプレゼント。こういうことが出来る大人に育ったんだね。

早速携帯に取り付けて、いつも一緒。
posted by ゆみこ at 16:47| Comment(15) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月04日

42歳はマカロンの味

誕生日から数日たったある日。友達と札幌に遊びに行った娘が「はいお母さん、お誕生日おめでとう。」と小さなケーキの箱をくれました。

今年は2月から3月にかけて家族全員にお祝い事(夫:簿記2級合格、娘:中学校卒業と高校合格、息子:小学校卒業、私:誕生日)があったので「まとめて盛大にお祝いしよう!!」と約束していたにもかかわらず、なかなか実現できずにいました(我が家ではいつものことです・・・。)
それでもちっちゃいお祝いはその都度していて、家族で手作り肉まんを作ってみたり、久々に外食(必要に迫られて、出先で昼食)したり、「みんな、おめでとう」と言ってアイスを食べたり・・・。既に家族内では「お祝いは終了」のムードが漂っていました(正直、私が一番思っていたんです)。

そんなところにケーキの箱だったので驚きました。
「えっ?!」でもこの箱、ショートケーキが1個入るくらいの小ささ。まさか私一人分?

makaron.gifと思ってて開けてみると・・・彩り豊かなマカロンが8個グッド(上向き矢印)
(写真は4個ですが、最初は8個あったんです。初めて見るマカロンに驚いたのと、あまりの色のきれいさ、そしてどんな味なのか興味をそそられて、写真を撮るなんて思いもつかないうちに、まずは1個ずつ食べてしまいました。)

初めての味に驚き! こんなに甘いんだ!

マカロンが卵白と砂糖などから作られているのは知ってても、写真やテレビで見たことはあったけれど、実際に目にしたらやっぱり感動ひらめきでした。
味はかなり甘かったし、色がきれいな分人工着色料もいっぱいだったんだろうけれど、色と名前がマッチした風味もしっかりあり、何より我が家にとって「初物」だったことと思いがけないお土産に大満足の「マカロン」でした。

我が家にとってマカロンは「42歳の味」になりました。

posted by ゆみこ at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月26日

我が家のクリスマス・サンタさんからのプレゼント

 我が家はキリスト教ではないのでクリスマスの行事をしない。小6の息子に言わせれば「みんなのうちはケーキ食べたり、鶏肉食べたりするんだって。うちでも食べたいなあ。やればいいのに。」

 まあその気持ちはわかる。私も子供の頃、ケーキが食べられるのは年に1度クリスマスの時だけだった。もちろん私の実家は一般的な日本の家庭、お寺の檀家であり、神棚も氏神様もある家。ただ世の中の流れで、近所のお店に予約したバタークリームのホールケーキにロウソクを灯し、曾爺ちゃんから私たち兄弟(曾孫)までが分け合って食べた。楽しい思い出の一つではある。
 今の時代ケーキは珍しくない。あえてクリスマスに食べなくても、ちょっとしたお祝いや誕生日には食べているからね。私が子供の頃食べたケーキと同じ意味合いを探せば、おせち料理か・・・。
 
 とは言え、サンタクロースは「おとぎ話」に近いので容認している(親の勝手・・・だとは思ってるけれど・・・)。そして我が家にもサンタさんはやって来る。それでもって、小6の息子は未だに信じているよう(たぶん)、中3の娘は信じたフリをしている(弟のため? 親のため? それとも自分のためか?)。
 息子曰く「ぼくのところに来るサンタさんのプレゼントって、いつもお願いした物じゃないんだよね。ゲームソフトがいいけど、いつも図鑑なんだ。」

 そんな息子のところに届いた今年のプレゼントはハンドミキサーとイヤフォン。「ヤッター!!これでケーキがたくさん作れるね! それに僕用のイヤフォン!もうお父さんに借りなくてもいいんだ。」喜んでもらえてよかった、よかった。

bookc1.jpg 娘のところに届いたのは手作りブックカバー。そこには手紙が添えられていた。
【サンタさんに依頼されて作りました。母】【サンタさんからの伝言:小さい子にプレゼントをするために、大きくなったあなたは今年が最後のプレゼントです。】・・・製作途中、見られてしまったがゆえの苦肉の策。娘曰く「こういう展開になるとは! お母さん、ありがとう。」


 子供だましの仕掛けだけれど、こんな会話の一つ一つが家族にとって(私の)子供の頃のクリスマスケーキに匹敵する楽しい思い出になりますように。その真価が問われるのは、子供たちが誰かのためにプレゼントを用意する時なんだろうなあ。


posted by ゆみこ at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月21日

今日は冬至

今日は冬至。1年で一番、日の短い日。

出先に息子からメール「今日は冬至、だから柚子湯にしたよ。」
そうだった!
ちょっと帰りが遅くなったから「簡単な夕食にしようか」の考えは吹っ飛んで・・・

夜9時近い夕食にはなってしまったけれど
カボチャの煮物を食卓にのせて「いただきます!」
「やっぱり煮物はおいしいね。」とは娘の言葉。
「キレイな色だね。」は息子。

栃木の実家から送られてきた、庭先の柚子の果実を丸ごとお風呂に入れた柚子湯。
ユズノン(柚子の芳香成分。多くは柚子の皮に含まれる)たっぷりのお風呂に
「本物の柚子は香りが違うなあ。」と夫。
そうそう、ここ数年は「柚子の香りの入浴剤」でごまかしてたもんね。
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数年前、特に子どもが小さいうちは『風習』を大切に、四季折々の習わしに従ってお料理を作ったり、お供えをしたりしていた我が家でした。でも、私も夫も夜出かけることが多くなり、行事をすべき日に家族揃って食卓を囲めなくなって・・・日にちをずらしたり、簡単に済ませたり。そのうち私自身が行事に疎くなって、今回はすっかり忘れてました。

それでも今日は息子が気づかせてくれました。
風習が受け継がれてるんだなあと思ったら嬉しかったです。
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今日が冬至ということは、明日からは日が延びるということ。
寒さはこれからが本番ですが、暖かくなる要素は着実に増えています。
『冬来たりなば春遠からじ』
希望を持って暮らしましょう。
posted by ゆみこ at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月11日

ちょっと悲しい現実。でも自業自得。

久々の日記更新になりました。皆さん、お元気ですか?

今日は母親として、ちょっと悲しい現実を目の当たりにしました。

事の起こりは今朝のこと。
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私「今日、お母さんは会議があって長沼(近隣の町)に行ってるから。帰りは(夜)9時頃かな。お父さんも会議で札幌に行くから。だから今夜は誰もいないから、(子供たち)二人で夕飯食べてね。用意しておくから。」
娘、息子「わかった。お父さんは何時に帰るの?」
夫「(夜)8時くらいかなあ。もしかしたらもっと早く帰れるかもしれない。」

いつも通り一日の予定を確認して、それぞれ家を出ました。
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午後8時半過ぎ、帰宅すると
娘、息子「お母さん、今日はとっても大変だったんだからあ〜。」
夫「いやあ、こんな事になるとは〜。」
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午後4時過ぎ、息子が小学校から帰宅。
カギがない! 持って出るのを忘れた! あ〜どうしよう。
ご近所さんの家から夫の携帯に電話を入れる。
「お父さん、カギ忘れちゃった。入れないけどどうしよう。」
会議途中の夫「今は帰れないから、姉ちゃんが帰ってくるまで待ってな。」

午後5時半過ぎ、娘帰宅。家に鍵がかかっている。あ〜、持って出るの忘れた〜!!
(普段なら弟が家にいるはずだけれど、今日は剣道の練習日。もう体育館に行っちゃったのかなあ。カギ借りに行こう。)と、歩いて体育館(1km弱)まで行ったものの弟の姿はなし(あれ〜???)
家に戻ってウロウロ。(電話を借りてお父さんに連絡しよう。)
ご近所さんの家に行くと・・・弟が!

息子「お父さん、お姉ちゃんもカギ忘れてた〜〜〜〜〜(半べそ)」
夫「もう少しで帰れるから。もうちょっと待たせてもらいな。」

夫が帰ってきて迎えに行ったのは6時半。
娘、息子「お父さんが帰って来てくれて良かった〜。」
夫「早く帰れて良かった。」
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ご近所さんのお陰と、夫の早い帰宅で一件落着!なんだけれど、子どもにとってのこんな窮地に「アテにされていない母親」って!!! ちょっと悲しいなあ。

子供たちに「どうしてお母さんに電話しなかったの?」
娘、息子「お母さん9時頃まで帰ってこないって行ってたでしょ。お父さんは早いかもって言ってたし。それにお母さんに電話したら怒るでしょ。何でカギ持っていかなかったの!!って。おっかないモン。」

あ〜、自業自得だとは分かっていても、悲しい。

今日は夫の誕生日でした。家族にとって思い出深い日になって、きっと笑い話として語られる日が来るんだろうけれど・・・、私にとってはずっと悲しい日になるんだろうなあ。

もう少し自分の生活(時間と気持ち)に余裕がないとダメかもね。反省。
posted by ゆみこ at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月26日

娘からのプレゼント

つい最近、41歳の誕生日を迎えました。
我が家では、家族の誕生日前後に「誕生会」と称してちょっとしたお祝いをします。
それぞれが「できること」をしてお祝いするわけです。

通常は、私が夕食(誕生日の人のリクエストを最大限生かしたメニューを作る)、夫がケーキ(もちろん買ってくるんですけど)、中学生の娘はお祝いのカード(間違い探しがあったり、似顔絵だったり、時事ネタを織り交ぜたり・・・)、小学生の息子はその時の気分で(絵だったり、お手伝い券だったり、歌だったり・・・)。

今回は私の誕生日。
ただ今年はみんなの予定が合わなくて、今のところ実行されてません。
いつできるかなあ?

そんな感じで、私自身も何となく過ごした誕生日の夜、娘がプレゼントをくれました。

それは手作りのマスコット! 白いフェルト状の布地にキラキラビーズでバレーボールの模様を縫いつけ、裏側には背番号「12」。私がママさんバレー「月形ポパイズ」の一員で、バレー好きなのを知っている娘だからこその力作!

masukotto.jpg masukotto2.jpg

思いもよらないプレゼントに感激!感激!感激!
私のこと観察してたことも、手の込んだものを作っていたのも、材料を集めていたのも全く分からなかったので、本当にビックリでした。

今思えば、
夕食が終わるとすぐに「勉強、勉強」と自分の部屋に上がっていたのも、
「お母さん、これ貰っていい?」と私の裁縫箱から肩パット(白いフェルト状のものは肩パットから取り出したとのこと。マスコットを膨らませたのも肩パットの中身)と紐を持っていったのも、このためだったのか・・・!
全く思いもよらなかったのでした。

『どうもありがとう! お母さん、とっても嬉しかったよ。』 
posted by ゆみこ at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月15日

3年生を送る会 by 父母会

昨日の続きです。

今日、父母会主催の「バレー部送別会」をやってきました。私自身がノリノリで企画したので、準備も司会進行も何もかも父母会(中心は2年生の親である私と○○さんの二人)でするもんだと思ってたけど、一般にはそうじゃなかったみたい。普通は子供が表舞台で、親は陰から・・・らしい。まあ型破りなのはいつものことなので気にしないで楽しんじゃいました。

まずは3時に集合してお料理づくり。6種類のおにぎりと野菜スープ、漬け物、くだもの盛り合わせを、お母さん6人と1・2年生部員全員(7人)で手作り。それに仕出しのオードブルで、かなり豪華な食卓が揃いました。


kaijyou.jpg5時からの送別会では、まずは腹ごしらえ。続いてジャンケンゲーム。
そして参加者から3年生へ向けて一人ずつパフォーマンス。言葉、踊り、歌、空手の型の披露・・・急な依頼なのにみんな素直に表現してくれました。

medaru.jpgその後はゲーム合戦。2チーム対抗戦にして体力勝負や頭脳合戦など、盛り上がりましたよ〜〜.
(写真は優勝チームに贈呈したメダル)

そして1・2年生現役部員全員で「ジュニアキャンプの歌」の合唱(全道から集まる合宿で歌う歌で、厳しい練習に耐えた思い出の歌)。色紙の贈呈。
お返しに3年生から卒業式でも歌った「smapのオレンジ」と一言。
そこに父母会から「バレーボールで作ったキューブ」のプレゼント。

感激して泣く・・・ような雰囲気でなかったのですが、とってもとっても楽しい3時間でした。やって良かったなあと思えた瞬間でした。


中学生の部活は思春期真っ只中で、スポーツ以外のドロドロもついてきます。この子供達も部活が終わってから何時間も話し合いをしたこともあるし、メンバーが集まらなくて困った時期もありました。でもこうして今、同じ時間を共有し、笑ったり大声を出したり本当に楽しそうに過ごしています。これが青春だし、人生の1ページなんだなあと・・・イベントが終わった喪失感の中、私も歳を重ねたなあと感じました。すっかり「親」なんですね。

posted by ゆみこ at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月31日

心豊かに過ごせた年末

今年も残すところ、今日1日となりました。いよいよ終わりですね。

私にとってこの1年は変化に富んだ、充実した日々でした。あっという間というには色々なことがありすぎて、1年前には想像もできない感じです。見るもの聞くもの、全てが肥やしになっていきます。
人生にはこんな1年もあるのですね。

そんな年末、慌ただしい中にも家族水入らずで過ごすことができました。こんなに家族で一緒にいられたのは今年初めてだったりして。
大掃除に年賀状作り、宛名書きに宿題・・・、おせち作りも。

【大掃除】思い立ったのは28日午後。半日でやっつけるぞ!とばかりに各人位置について用意スタ〜ト。 子供達が(もちろん夫も)頑張って見る見るうちにキレイになっていくー。完璧とまではいかないけれど、8割できればOK。半日でこんなに出来るとは思わなかった。家族に感謝。

【年賀状作り】毎年のことながら我が家はプリントゴッコ。子供はそれぞれに、私と夫で1種類、計3枚のデザイン画が必要。各人アイデアを出し合って製作。私と夫も試行錯誤しながら、結局「家族の様子」で落ち着いた。そんなわけで土壇場にならないとエンジンのかからない我が家は29日に裏面完成。

【宛名書きと一言】30日、朝から宛名書き。少しでも早く出せば早く着くと思って(今更だけど)。枚数の少ない子供達は昼には完成し、午後は宿題。一番手間取っていたのは私。だってせっかくだから色々書きたいモン。最後のハガキをポストに入れたのは23:30でした。

【おせち】31日、今日。おせちを作る予定。娘と二人で。既に準備も始めて、朝からスタート。と言っても作るのはアレとアレとアレくらい。まあいいか。夫と息子は床屋さんへ。そして最後に部屋の片付け。
さあ、予定通り進むかな?

この何日間は3食とも全員揃って食べて、一緒の行動をして、何だか楽しかった。年賀状作りながら小豆を炊いてお汁粉作ったり、次の日はあんこにしてアンパン(トーストにあんこを挟んだだけのアンコパン)食べたり。
作業しながら「夕飯はアレにして〜」なんてリクエストされたり、「そろそろお茶飲みたいなあ。」っておねだりしたり。家族で一緒にいるとリラックスできるんだなあ不思議と。

今までも同じことはあったと思うけれど、こんなに家族の安らぎを感じたことはなかった。忙しかった分、神様が気付かせてくれたのかもネ。感謝です。


今年1年、色々な人にお世話になりました。
ありがとう。そして、またよろしくお願いします。
posted by ゆみこ at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月04日

節分(だった)

日が変わってしまったので、今日は立春。昨日は節分でした。
節分といえば「豆まき」、今年もやりました。

 北海道では豆まきのまめに殻付きの落花生を使う家が多く、他におひねりのお菓子やチョコレート、小さな袋に入ったおつまみの豆など、あとで拾って食べるのを前提に撒くようです。

 我が家は夫も私も関東出身なので、大豆で豆まきです。ご近所からいただいた、この秋に収穫された黒大豆を煎って使います。子供達とチラシで箱を作り、そこへ黒大豆を入れたら準備OK。
 家の奥の部屋から玄関方向に向かって、順次鬼を追い出していきます。「鬼は〜外、福は〜内」家族みんなで元気いっぱい、力強く声を掛け合って、無事鬼を外へ追い出しました。

 チラシの箱の中には少し大豆を残しておくのが栃木(私の実家)流。ここから歳の数だけ大豆を食べて(食べた振りして)、残りは大事に取っておきます。これは私の実家の習わしで、雷が鳴ったときに食べるのです。(詳しくは私のバックナンバーへ→
http://hukinofirebomber.seesaa.net/article/20944946.html
 
 今年も無事、家族全員で豆まきができてよかった。
posted by ゆみこ at 06:34| Comment(0) | TrackBack(1) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月07日

七草がゆ・もどき」

 今日は1月7日、七草がゆを食べる日です。
 我が家も年中行事の一つとして七草がゆを食べるのですが、恥ずかしながら、今まで一度も
「正統派七草がゆ」を作ったことも食べたこともありません。いつも「七草がゆ・もどき」です。

 「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、 スズシロ、これぞ七草」

 子供の頃、母はこの詩に出てくる「七草」のうち、手元にある物をいくつか入れておかゆを作ってくれました。だいたいはスズナ(蕪)スズシロ(大根)だけでした。
 もっとも実家は栃木なので、田んぼに行けばナズナやハコベラ、ホトケノザくらいは簡単に手に入るはずなのですが、まあそこまでしなかったのでしょう。

 私が家庭を持つようになって、スーパーには「七草がゆセット」というものが出回り出しましたが、買えませんでした。

 結局、我が家も手近な材料の「七草がゆ・もどき」です。

 ちなみに今年はスズシロと小ネギ、三つ葉でした。
 いつもならこの他にわかめと青のり(海草)、スズナ、紫蘇を入れて強引に七草(七種類の草)にしていたのに、そこまでもいかず、完全な「七草がゆ・もどき」となりました。

 内容はめちゃくちゃですが、今年も「七草がゆ」のいわれと効能を娘に話して聞かせ、自己満足したのでした。
posted by ゆみこ at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月01日

晴れやかな始まり

あけましておめでとうございます。
穏やかで清々しく、晴れやかな新年を迎えることができました。

torii.jpg jinnjya.jpg
写真は町内にある「樺戸神社」
初日の出を浴びて輝いているところです。

我が家の元旦は、例年初詣から。
家族4人、夜明け少し前に起き歩いて樺戸神社に向かいます。
元旦の神社は静けさに包まれ、
参道を照らす裸電球の明かりが暖かく迎えてくれます。
午前7時からの元旦祭の太鼓の音が胸に響く中、
それぞれ心に今年の願いを描いて手を合わせます。

新たな気持ちを胸に振り返ると、
ちょうど神社の入り口、鳥居の方角から初日の出。
心も体も朝陽に洗われ清められたようでした。

その後境内で家族写真を撮影。
防寒着を身にまとっていて、まん丸着ぶくれ状態でも
新年の清々しさと凛とした雰囲気が宿ったいい写真が撮れます。

そうこうしていると
町内の人がぽつりぽつり初詣にやってきます。
知らない人にも「おめでとうございます。」
さっきまでの静けさから、ちょっとした賑わいへ。

帰宅しながら、今までの初詣を思い出し
子供達の成長を感じるのでした。


こんな元旦を送るようになってから10年近くが経ちますが
こんなに穏やかな年はそんなにありません。
雪が吹きすさぶ中だったり、厚く暗い曇り空だったり。

ああ、今年が穏やかで良い年でありますように。
posted by ゆみこ at 17:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月27日

我が家のキャンドルナイト

alt 24日の夜、我が家でも恒例のキャンドルナイトをしました。

「でんきを消してスローな夜を」の呼びかけのもと、2003年夏至から始まった「100万人のキャンドルナイト」に参加したことから我が家の恒例行事となり、夏至と冬至の頃にやっています。
http://www.candle-night.org/index.html

 最初はキャンドルスケープ(参加者の住所を日本地図上に光の点で表し、参加者が多いほど明るくなる仕掛け)や、でんきを消した様子を人工衛星から撮影してその効果を見比べる仕掛けなどに共感、参加し、イベントとして楽しんでいました。
 そのうち「スローな夜」に重点を置くようになり、家族全員でロウソクの灯で食事をし、歌を歌い、思い出話をするようになりました。

 子供にとっては「電気(灯り)を消す=エコ」と直結してしまうようで、自分達は地球にとって良いことをしているんだと言います。
 でも本当は、灯りは消しているけどストーブは着いているし、ロウソクの灯りの下で食べている食事は電気炊飯器やガスで調理した物で、エネルギーの消費やCO2の排出で見れば、大して普段の生活と変わらないのです。イメージだけで環境を語るのは危険だと、そんな話しもできました。
 
 そうだとすると、このキャンドルナイトをする意味は?

 「暗闇を受け入れる」準備のために続けています。

 独りぼっちになったとき、災害が起きたとき、孤独を感じたとき、暗闇に怯え自分をなくしてしまわないよう、暗闇の楽しみや不思議を記憶に残しておいて欲しいから。

 暗闇も日常の一部で、普段は見ていないだけ。
 すぐそこに暗闇はある。怯えなくていい。
 いつも難なく過ごせていたのよ。
 気持ち次第で楽しくも辛くもなるのよ。

 こんなメッセージが自然に伝わったら嬉しい。
 
posted by ゆみこ at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月13日

ジェンダーフリー:問題発生

 先日、娘の一言にショックを受けました。
「お父さんはお金を稼ぐ人、お母さんはご飯を作る人。」
「お金を稼ぐ人の方が偉いから、お父さんが上でお母さんが下。」
本当にそう思っているの?と聞けば聞くほどむなしくなりました。

 親の背中を見て理解してくれると思っていたけれど、現実はそう甘くないんですね。
このまま親の背中を見せていれば、いつか分かるときが来るのでしょうか?
それとも世の中の流れや慣習、表面的な事象だけを追ってこの程度の理解で終わってしまうのでしょうか?

 娘の一言だっただけに本当に衝撃的でした。
posted by ゆみこ at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジェンダーフリー:現在

 現在、私は食事作りと掃除、夫は洗濯物干し、娘(中1)は洗濯物たたみ、息子(小4)はお風呂。ジェンダーフリーだけでなく、家庭を支えるのは家族全員だという発想の元に、家事労働を分担しています。
 私自身も家事負担が少なくなるにつれ社会参加の時間が増えました。農業はもちろん、地域や学校に関すること、花関連の組織の企画やまちづくりNPOの立ち上げ等、趣味の活動も含め、夫より私の方が家にいる時間が少ないくらいです。

 私たちはジェンダーに縛られることなく、その時々の状況に応じて夫婦のあり方を選択してきました。自分達なりにジェンダーフリーを実践してきたつもりです。そしてそれは子供達に伝わっていると・・・!
posted by ゆみこ at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジェンダーフリー:就農初期

 今から13年前、娘が10ヶ月の時に新規就農しました。このころ町には季節保育所(田植えと稲刈り時期のみ開く保育所。3歳以上)しかなかったので、娘が起きているときはおんぶ、寝ているときは車か家の中、近所の同年代のお子さんがいるお宅に預けたりもしました。
 仕事は夫と二人でこなしますが、夫の方が力も体力もあるので、より危険で力のいる仕事は夫、私は娘をおぶって仕事です。二人で同じ内容の仕事をするときは、交互に疲れるまでおぶいました。
 その後、息子が生まれた(10年前)時も同様でした。ただ、「おっぱい」をやれるのは女の私だけなので、私の育児時間は必然的に長くなりました。

 この(就農したてで、子供達も小さい)時期が、結婚生活の中で最も男女としての役割分担がハッキリしていました。これはジェンダーというより生物学的に特別な時期のためで、男性にしかできないこと女性にしかできないことを、自分達が選んで優先したためです。見た目にはジェンダーを容認した生活でも、自分達が選んでそうしているのだからジェンダーフリーの精神は生きています。もし社会的な条件(乳幼児保育乃ある保育園、雇用者の確保など)が整っていたなら、違った選択をしていたかもしれません。
posted by ゆみこ at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジェンダーフリー:出産・育児時代

 妊娠8ヶ月で退職した私は専業主婦になりました。一日中家にいるので、家事のほとんど全ては私の仕事です。「男は仕事、女は家庭」という概念でこうなったわけでなく、「労働時間を同じにする」という観点で、家事分担の範囲が変わったわけです。
 ちなみに、私が退職したのは就農の準備(退職の1年後に月形町に新規就農)をするためで、結婚→妊娠→退職→専業主婦という世の流れとは違います、と言いたいところですが、結果的には同じですね。まあそういうことです。

 娘を出産してから10ヶ月になるまで私は専業主婦でした。家事分担は同じですが、夫は育児に対して積極的で感心するくらい。だっこ紐にママコートを着て近所のスーパーや薬局に買い物がてら散歩によく行っていました。
「店に入ると周りのおばさんが、奥さんに逃げられたのかしら可愛そうに、みたいな感じで俺を見るんだよなあ。」
と笑いながら話していたのを覚えています。

 今なら普通に見られる光景も、13年前は奇異に感じられていたんですね。地域によっては今もそうかもしれないけれど。
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ジェンダーフリー:新婚時代

 「ジェンダーフリー」 この言葉はちょっとショッキングですか?
 この日記を書くにあたりいろいろ調べてみましたが、解釈の仕方がそれぞれで穏健派から過激派までいろいろで、最近は否定されることも多いようです。でも私はあえてこの言葉と概念について触れたいと思います。あまり難しく考えず、「社会的、文化的性差からの自由」という意味で。

 私と夫が一緒の生活を始めるときに、
■ 一人暮らしの人間が2人、同じ家に住んでいるという考え方で生活しよう。
■ 家事を一人分やるも二人分やるもさして変わらないんだから、得意なことはその人に任せて、あとは分担しよう。
■ 基本的に労働時間が同じになるように。
こんな考え方を何となく話しました。
 料理の得意な私は食事作り、洗濯とお風呂掃除は夫、買い物は都合のつく方が、部屋の掃除は気づいた方が、こんな感じでした。

 サラリーマンで共働きの二人は、ともに残業があり帰宅時間はまちまち。基本は一人暮らしなので、早く帰った方ができることをする。帰宅は私の方が遅いことが多かったので、料理しかしなかったことも多かったです。こういう家事の分担はごく自然に、恩着せがましい言葉も全くなく、私たち夫婦の中で浸透していきました。

 こういう家事分担ができたのは、お互いが「ジェンダーフリー」の基本的考え方を持っていたからだと思っています。もし「男は仕事、女は家庭」という考えなら共働きではなかったでしょうし、共働きできたとしても家事を私一人が背負い込み疲れ果てていたでしょう。まあそういう考えの人なら結婚もなかったでしょうけどね。
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2006年11月18日

身体はピークを過ぎている?

 ふぅ〜、やっぱり身体のピークは過ぎているってことか。

 昨日、インフルエンザの予防接種を受けてきました、娘と息子と私の3人で。毎年のことながら夫は予防接種を受けません。「予防接種の効果を身をもって試しているんだ!」との理由で。未だ実験は不成立ですけどね。
 
 娘は予防接種直後から注射の跡が赤くなってしこっていました。私はといえば、注射したことも忘れるくらい何の変化もなく、しいて言えば針の跡に赤い点が一つあるだけ。
「予防接種の針は細いから全く痛みを感じないよね〜。もしかしてちゃんと入ってなかったりして〜。」
と、腫れた腕を気にしている娘を横目に、おちゃらけている私でした。
 ところがどっこい、今夜になって針の跡がしこってきました。娘に遅れること丸1日。そういえば2,3年前はその日のうちにしこっていたんだった。そっかあ、そうだよなあ、筋肉痛が次の日に出るように、しこりの発生も遅れてたってことか。

 年齢のせいだけじゃないのは分かっているけれど、でも去年の自分より体力が落ちているのは事実。間もなく40歳だから身体のピークは過ぎていて当然だけど、認識が甘かった。もっと現実に目を向けなければ。

 現実といえば、家族の中でもっとも身体が弱い(体力がない)のは私だったりして。
 思い起こせば数年前、3人同時にかかった水疱瘡の時も私一人水疱がなかなか表面に出てこなくて(新陳代謝が遅いため)子供達の3倍くらい完治に時間がかかったし、今年夏のマイコプラズマ肺炎の時も回復が一番遅かったのは私。今ひいている鼻風邪も・・・。それに山登りの時も最初に無口になるのは私。

 これからは身体のことを考えて、何事も程々にしよう。身体のムリがきかない分、余ったエネルギーは知の向上や徳を積むことに当てよう。人間いつまでも力に頼ってばかりはいられないものね。身体のピークは過ぎたとは言え、また別のピークを目指す気力はあるからさ。
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2006年07月17日

本場の雷除け

 今日の夕方の雷は本当にすごかった! 雷の本場、栃木県出身の私も最後の一撃にはびびって、持っていたホースを取り落としてしまったのでした。何せ「ピカッ」という閃光と「ドカン」という音と地響きが同時で、すぐに「ピシッ」という何かが割れたような音がしたものだから。
 久々にこんな体験をして、幼い頃を思い出しました。


 私の生まれたのは栃木県の山間で、夏になると毎日のように雷が発生します。それは決まって午後2時過ぎ。今までジリジリと暑かった空に雲がかかり始め、スーッと冷たい風が吹いたら雷が来る合図です。風を感じて空を見上げるとポツポツと大粒の雨が落ち、辺り一面乾いた地面に水玉模様ができ始めます。

 私たち子どもは大急ぎで洗濯物を取り込んで家に入り、家の中にいる曾祖父母と共に雨戸を閉め始めます。近くの田んぼからは祖父と父母も半分濡れながら大急ぎで戻ってきます。玄関には番犬ポチも避難し、鍵を閉めブレーカーを落として、家族で外の様子をうかがいながらまず豆を食べます。この豆は節分の時に鬼退治に使うために煎った大豆で、一人数個ずつゆっくり食べます。これは雷神を寄せ付けないおまじない(だと記憶している)。
 そのあと曾祖父母は子ども達を蚊帳の中に招き入れ、皆で掛け布団を頭から被って「くわばらくわばら」と唱えて雷が通り過ぎるのをひたすらに待つのでした(蚊帳も布団も表面が柔らかいので、雷が好きな金属とは相反するものとして、その下に隠れれば雷を除けられるといわれている。「くわばらくらばら」は昔からの雷除けの呪文。まんが日本昔話で由来を説明していた)。さすがに父や母は蚊帳には入らず、外の様子を見たり、ソワソワしているポチをなだめたり。

 雨が降り出してから20〜30分、雨の音も静かになり外も明るくなってくると、父が玄関の鍵を開け最初に外にでます。「もう大丈夫だ!」と声をかけたのを合図に、みんな一斉に蚊帳から出て雨戸を開け、雷が通り過ぎた後のひんやりと湿った土の匂いを思いっきり吸って笑顔になるのでした。
 そのあとみんなで一服。お茶を飲み、お茶菓子を食べているうちに西に傾いた太陽が輝きだしたら、大人は田んぼに戻り、子どもは遊び始めます。

 懐かしい光景が思い出せて、恐ろしい雷にも感謝です。
 

 今日のすごい雷の時、私と子ども達とは離ればなれだったので、この楽しい思い出話と同じことはできなかったけれど、節分の豆を食べることだけは実践しました。この雷除けのおまじないが栃木から北海道へ、曾祖父母から玄孫へつながってくれたら、なんだか嬉しいです。
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2006年07月14日

農作業はリゾート気分で!

 ここ月形も昨日今日と蒸し暑い日が続いています。撰花場のコンクリート製の床は切り花用冷蔵庫(4坪。設定2℃)を直置きしているため、常に冷やされ結露でビショビショ。見ているだけで「湿気ているんだなあ」と感じさせます。最高気温は27℃前後ですが、風がほとんどないのと湿度が高いのが不快です。ちなみに月形の例年の真夏日(最高気温30℃以上)日数は2日程度、気温が高くてもカラッとしていたら快適なんだけどなあ。
 
 さて話は変わって、農作業時の女性の服装を想像してみてください。皆さん「半袖に腕抜き、長ズボン、頭をすっぽり覆う帽子」が定番ですよね。皆さん日焼けしないように全身を包んでいます。確かに極度に日に焼けると体力も奪われます(私も日焼けの後は真っ赤になり、すぐに何枚も皮がむけます)し、ムラ焼けするとちょっと格好悪い。でも暑くないのか心配です。聞けば「直接日に焼けない分、そんなに暑くないのよ」と言われるんですけどね。
 でも私は体の周りを覆うのは好みじゃなくて、閉じこめられているような感じがするんです。特に頭をすっぽり覆う帽子は視界が遮られて不安になり、仕事になりません。そんなわけで私の農作業スタイルは、半袖(ポロシャツの胸元全開)に長ズボン(ジャージ)、バンダナ(特別な縛り方。お地蔵さんが被っている帽子のような形になる)です。
 ただこれだけじゃつまらないので、時には半袖をタンクトップにしてリゾート気分で日焼けします。変なもので、服装を身軽にするだけでなぜか開放的な気持ちになり、毎日の同じ作業もルンルン楽しくなってきます。一気に焼けないように日焼け止めクリームを塗ったり、薄曇りの日をねらったり、短時間にしたりの工夫はしていますが、そういう諸々のことを考えて実行するのもまた楽しいです。まるで旅行に行く前に計画を練ったり準備をしているような感じです。

 それにしても、なぜ女性は日焼けしないように毎日毎日努力しなくちゃいけないんでしょう?男の人のように焼けている女の人がいてもいいと思いません?(もちろんガングロみたいなのは勘弁。)私は実家は農家ですが、私の母も祖母も親戚も日焼けしていました。みんな日に焼けることを気にしてはいても、対策はほとんどしていなかったと思います(少なくともあの帽子は被っていなかった)。そのせいでシミやそばかすやシワはいっぱいです。でもその顔はとっても生き生きしていて「こんな風に年を取りたい」と思わせる顔でした。
 藍染めの職人が爪の中まで藍で染まっているように、農家である以上日に焼けることは当然です。お日様があっての職業だから。だったら日に焼けることも誇りにしていいと思うし、それでシミやシワになっても勲章のように思えばいいのにと私は思います。母達のような深いシワとシミも年数を重ねてできるもの、私も農業を極めてそんな顔になりたいです。(最近、周りの人に実年齢を言うと「えっ、そんなに若かったの?」と言われました。既にシワとシミで母に近づいているのかも。農業を極める前に顔だけ完成してしまったらどうしよう。中身がともなって始めて素敵な顔ができるというのに・・・)

 と言うわけで、今年2度リゾート気分を味わって、私の背中にはくっきりと日焼けの跡がつきました。
posted by ゆみこ at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 親子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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