先日、地球村のメンバーの友人に誘われ標題の講演会に行ってきました。私を含め月形から11人、うち私たちの仲間8人で1台の車に乗り込み、苫小牧まで出かけました。
講演は、地球環境の現状(危機的状況)と、それを回避するためにどうすればいいのかを参加者(約200名)に問いかけるものでした。講師はNPO法人ネットワーク『地球村』の代表 高木善之さんです。
地球環境についてはメンバーの友人からいろいろ話は聞いていましたし、自分自身も興味があってそこそこの知識は持っていました。当日は新たな情報の入手と共に、この組織の様子と、講師の伝える力を勉強する目的で参加しました。
講演の内容でいくつか新鮮な視点はありましたが、多くは既に知っていることでした。また、いくつかデータが示されましたが、その数字にあまり意味がない感じを受けました。データはその見せ方や解説の仕方で見る側を誘導してしまいます。ビジュアル的には大きな力がありますが、私の場合はかえって気を削がれてしまいました。
このような理由で、講演の内容より他の部分に意識が流れてしまったのは事実です。
私が今回気になったのは、講演会場あるいは茶話会場(講演終了後に行われた少人数で講師を囲んで話し合う場)で高木さんのコーチング手法による話し方の波長にピッタリ合っていた(話に共感し、意思表示していた)のは女性と年配の方に多かったということです。その世代に何かを伝えようとしたら、このスタイルは有効なのかもしれません(もちろん高木さんの人間力の賜ではありますが)。
話を戻します。
自分なりに地球環境を考えた場合、「登山生活」に近い事をすれば環境負荷が少なくてすむと思っています。食糧や水は自分で背負い上げねばならず、必然的に最小限になります。持ち込めるエネルギーも少ないですから自然の恵みを利用しながら、無駄も省くでしょう。
でもこの生活もバックヤードとして今の人間の営みがあって成り立つものです。食糧を現地調達するには限りがありますし、そこで作る(農業をする)ことは排泄物を処理するのと同じように環境に負荷をかけます(有機物の投入、微生物の増殖、植生の変化)。いろいろな意味で、人間が生きていくことそれ自体が環境に負荷を掛けているので、突き詰めていけば生きることができなくなります。
しかしながら既に人間はもう長い間地球に存在し、その人間の環境でしか生きられない生物も生まれています。何が地球のためになるのかは一概には言えないくらい複雑に絡んでいるのが現実です。
人間の文化も教育も長い歴史の中で複雑に絡んで発展してきています。文化や教育を否定したところで、別の面ではその文化や教育の恩恵を受けて育ったものに支えられていることだってあります。私には何が良いのか悪いのか、他の人に胸を張って伝えられることは少ないです。
高木さんの言うように、考え行動することからしか始まらないと私も思います。考えるその基礎を膨らまし、5つ(自分からの視点、相手からの視点、第三者の視点、過去からの視点、未来への視点)と言わずたくさんのカメラを持って物事とらえ、そして何より自ら動くことが大切だと再確認させられました。親の背中を見て育つ子供のように、私の背中で何かを感じる人にしか物事伝えられないと思いました。
なんだかんだ言いましたが、いろいろ考えさせられ、また影響も受け、パワーを感じる講演会でした。誘ってくれた友達と、同じ空気を吸いながら考えを巡らす時間と空間を与えてくれた7人の仲間にありがとう。
月形には、こういう事に興味を持って友達を誘う人がいます。その誘いに乗って出かける人がいます。この行動が未来へとつながるのだと確信しました。素敵な町です。
2006年12月09日
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